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仲の良い夫婦であれば、目で合図しただけで考えていることが通じ合えるといいますが、それでも心の中では見通せないものです。こういう夫婦だって、お互いに浮気し合っていて、お互いに知らないことがいっぱいあるものです。 それはともかく、私たちは相手の気持ちを知る前に、自分の心を相手に知ってほしいと考えます。愛していれば自分のことをわかってくれるものだ、という互いのエゴが出てしまうのです。 そこで、「どうしてそんなこというの?」とか、「あなたの考えが、私にはわからなくなってしまった」という具合に、相手の心を自分に近づけようとするのです。 あるいはまた、非難合戦となって、 「あなたはいつも違うところを見ている」「お前こそ、俺の考えを知ろうとしない」と自分の正当性を主張しあうのです。
はじめから性格が不一致であれば、相性的にもつき合うことはないのですが、ほとんどの男女は、性格が一致していると錯覚してつき合ってしまうのです。 実際にはそれは性格ではなく、趣味が一致したにすぎないのですが、最初のころはそれに気付きません。 たとえば、互いに山歩きが好きだとすると、性格的にも合っていると思ってしまうでしょう。ここで恋愛の初期段階である好意が芽生えます。この好意が続いていくうちに、なんとなく愛称がいいように思ってしまいますが、よく考えると、それは趣味の一致に過ぎないのです。 ところが、同じ趣味でも社交ダンスのように体が接近する関係は、得てして錯覚しやすいのです。いわゆる心理的距離の限界を突破するからです。こうなると、互いに相手を非常によく知ったつもりになって、いよいよ親密になっていきます。
しかし、相手を知るとは心の奥底に潜む欲望まで見抜くことなので、話し合わないことにはわかりません。 ところが女性はノンバーバル(非言語)コミュニケーションという、直感と第六感を主にした理解が得意なために、往々にして誤った理解をしてしまうのです。 失恋とか離婚に際して、「あの人のことがわかっていなかった・・・」と後悔するのは圧倒的に女性が多いということでもそれは証明できます。それだけノンバーバルによる理解が危険を伴うのです。
ところが実際には、女性のほうがはるかにおしゃべりで、言語による理解が深そうでが、女性はつねに自分のことを話しているので、黙って聞いている男性側がくわしく理解するのがふつうです。 それだけに、相手をもっと深く知りたいとしたら、男に話させるような質問型に会話をきりかえることです。ただ話好きの女性では、性格が一致しているかどうかわからずに深い関係にまで進んでしまい、結局、後悔することになってしまうでしょう。
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